JMS人と医療のあいだに

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沿革

設立経緯 ~創業者の想い~

1952年(昭和27年)、後に当社の創業者となる土谷太郎は、その父、土谷剛治らとともに株式会社広島血液銀行を設立しました。
医師でもあった土谷太郎は、当時起こっていた輸血による発熱などの副作用を防止する研究を進めるうち、日本では依然ガラス製やゴム製の医療機器を消毒して繰り返し使用していたのに対し、アメリカでは既にプラスチック製品による医療機器のディスポーザブル※化が進んでいることに注目。
もっと良い医療を提供したいと願っている臨床医、あるいは、生命を私どもに委ねて下さる患者様のために、1965年(昭和40年)6月12日、ディスポーザブル医療機器を製造販売する「株式会社ジェイ・エム・エス」(設立時社名:株式会社日本メディカル・サプライ)を設立しました。
この創業者の想いは、「かけがえのない生命のために」という当社の創業の精神として、今も全ての社員の心に受け継がれています。

※ディスポーザブル:一般的に医療の分野では「既に滅菌されてあり、そのまま直ちに使用でき、かつ1回限りの使用で使いきるもの」という意味。

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  • 1960年〜

    • 1965年6月

      医療機器の製造・販売を目的とし、広島県佐伯郡大野町下更地1990番地(現広島県廿日市市大野1990番地)に株式会社日本メディカル・サプライ設立(資本金25,000千円)。本社工場(大野工場)竣工。

    • 1968年5月

      ディスポ医療器株式会社(最終社名ジェイ・エム・エス企画株式会社)の株式65%(最終持株比率100%)を取得、資本参加し役員を派遣。

  • 1970年〜

    • 1971年2月

      興陽化成株式会社(最終社名ジェイ・エム・エス高分子株式会社)の株式65%(最終持株比率100%)を取得、資本参加し役員を派遣。

    • 1972年11月

      広島県三次市に三次工場竣工。

    • 1973年1月

      大韓民国の株式会社韓国メディカル・サプライの株式50%(現在81.5%)を取得、資本参加し役員を派遣。

    • 1973年8月

      本社を広島市加古町12番17号(現広島市中区加古町12番17号)に移転。

    • 1974年9月

      100%子会社ジェイ・エム・エス中四国販売株式会社(最終社名株式会社ジェイ・エム・エス販売)設立。

    • 1976年2月

      100%子会社株式会社ジェイ・エム・エス(現社名ジェイ・エム・エス・サービス株式会社)設立。

    • 1978年9月

      島根県出雲市に出雲工場竣工

    • 1979年6月

      シンガポール共和国に100%子会社ジャパン・メディカル・サプライ(シンガポール)プライベート・リミテッド(現社名ジェイ・エム・エス・シンガポールPTE.LTD.)設立。

  • 1980〜

    • 1981年6月

      株式額面変更のため、形式上の存続会社たる株式会社栄商事(合併後株式会社日本メディカル・サプライに商号変更)に吸収合併され、実質上の存続会社となる。

    • 1981年12月

      広島証券取引所に上場。

    • 1982年12月

      大阪証券取引所市場第二部に上場。

    • 1987年6月

      広島県山県郡千代田町(現広島県山県郡北広島町)に千代田工場竣工。

    • 1987年11月

      大阪証券取引所市場第一部銘柄に指定。

    • 1988年7月

      中華人民共和国に合弁会社大連ジェイ・エム・エス医療器具有限公司(70%を出資、現在100%)設立。

    • 1988年10月

      中華人民共和国に100%子会社医用材料(ジェイ・エム・エス大連)有限公司(1997年1月1日に大連ジェイ・エム・エス医療器具有限公司に吸収合併される。)設立。

    • 1989年3月

      東京証券取引所市場第一部に上場。

  • 1990年〜

    • 1993年8月

      アメリカ合衆国に100%子会社ジェイ・エム・エス・ノース・アメリカ・コーポレーション設立。

    • 1993年12月

      ドイツ連邦共和国のバイオニック・グループ3社を100%子会社として買収後、バイオニック・メディツィンテクニックGmbHとして統合。

    • 1994年4月

      株式会社JMS(登記上は株式会社ジェイ・エム・エス、英文ではJMS CO.,LTD.)に商号変更。

    • 1994年6月

      インドネシア共和国にジェイ・エム・エス・シンガポールPTE.LTD.の100%子会社としてプライベート・リミテッド・ジャパン・メディカル・サプライ・バタム(現社名PT.ジェイ・エム・エス・バタム)設立。

    • 1995年7月

      ブラジル連邦共和国に合弁会社ジェイ・エム・エス・ドゥ・ブラジルLTDA.(90%を出資、最終出資比率100%)設立。

    • 1998年12月

      ジェイ・エム・エス企画株式会社、ジェイ・エム・エス高分子株式会社を清算結了。

  • 2000年〜

    • 2000年4月

      100%子会社株式会社ジェイ・エム・エス販売の営業の全部を譲受。

    • 2002年5月

      広島市に100%子会社株式会社大野設立。

    • 2002年6月

      中華人民共和国に100%子会社北京英特創軟件科技有限公司設立。

    • 2003年3月

      株式会社ジェイ・エム・エス販売を清算結了。

    • 2004年3月

      東京都中央区にクリノグラフィ株式会社(51%を出資)設立。

    • 2005年12月

      大阪証券取引所市場第一部の上場廃止。

    • 2006年9月

      クリノグラフィ株式会社の株式を譲渡。

    • 2007年7月

      北京英特創軟件科技有限公司の出資持分の全部を譲渡。

    • 2007年9月

      ジェイ・エム・エス・ドゥ・ブラジルLTDA.を清算結了。

  • 2010年〜

    • 2014年5月

      フィリピン共和国に100%子会社ジェイ・エム・エス・ヘルスケア・フィリピン,INC.設立。

    • 2018年4月

      タイ王国に合弁会社ジェイ・エム・エス・ヘルスケア・タイランドCO.,LTD.(49%を出資)設立。

    • 2018年9月

      大野工場の生産を終了。

    • 2019年1月

      株式会社大野を清算結了。

  • 2020年〜

    • 2022年4月

      東京証券取引所の市場区分の見直しにより市場第一部からプライム市場へ移行。

    • 2023年6月

      監査役会設置会社から監査等委員会設置会社へ移行。

    • 2023年10月

      東京証券取引所の市場区分の再選択により、東京証券取引所のプライム市場からスタンダード市場へ移行。

    • 2023年11月

      中華人民共和国においてジェイ・エム・エス・シンガポールPTE.LTD.の100%子会社としてジェイ・エム・エス医療科技(張家港)有限公司(旧旭化成医療科技(張家港)有限公司)を譲受。